もやもやブログ

多摩美術大学グラフィックデザイユーチューブとファッションとお絵描きと時事人をネタにします。

デジタルアートを始めよう。歴史が浅く文化的評価が低い今こそ手塚治虫にデジタルアートで成れるチャンス!

デジタルアートはまだ評価が低い、全てそうなるとは言えないがちょっとした手描きアートが全く同じくデジタルで作られた場合同じ評価を得られるか?

評価が無くなる、低くなるのが大部分だろう。

鉛筆、木炭、油絵、水彩、墨絵、道具や材料、技法は何でもいいがそれらを使うこと事態はアートでもなんでもない。

デジタルアートの評価は低いがアナログアートは逆に少し評価が高いと思う。

キャンバスに向かって油絵の具を使って描くという経験を生まれて一度もした事がないという人が大部分だと思う。

ひとは知らないものに対して過剰に畏怖の念を抱く。

アナログで絵を描いています、というだけでおお芸術家というオーラを勝手に感じてしまうのだ。

もちろん道具を持った使っただけでは芸術家になってはいない、ただのひとだ。

アナログには人類誕生から受け継がれている歴史があるが近年プラスαに評価を上げてるそれはアートではなく大道芸のそれだと思う。

水彩などは特にやり直しがきかないが大掛かりな道具を揃えて失敗出来ないことやってますよーという"大道芸"である。

一発描き、早描きなどというのはそのアートではない大道芸をアートと呼ぶ顕著な例だろう。

これらはデジタルにしたら全く価値を失うものが多い。

アートと呼んでるが大道芸だからデジタル化すれば大道芸のごまかしが消えてアートとしては薄かった、とバレるのだが一般人は大して気にしない。

大道芸の方が分かりやすいし手品と同じでその場が楽しければ良いからだ。

道端の似顔絵描きみたいなものである。

アートはどれだけやり直しや修整をして作っても最終的にどれだけ響くものを生み出したかどうかである。

その点デジタルアートはやり直しがきくから最高!とは言わない。

ただマンガアニメやその他ほぼ全ての文化は歴史が浅いときは軽視され文化とされなかったようにデジタルアートを今やることはデジタルアートの手塚治虫になれるチャンスがある。

神絵師なんて言葉が出てから絵師を目指したり、ゆずが生まれてから路上ミュージシャンが山程増えたがそれは完全に時期を逃してしまっている。