もやもやブログ

多摩美術大学グラフィックデザイユーチューブとファッションとお絵描きと時事人をネタにします。

写真と絵画、マンガ·アニメとイラスト。

 

写真機が発明された時代に「絵画は死んだ」と言われ、そこから絵画とはなんぞや?絵画で表現する意味とは?という絵画で描く価値を探す真の模索が始まったと思う。

 

まるで写真のようにリアルに描いた、そこに価値がないとまでは言わない。

しかしカメラマンがコンマ何秒でシャッターを切って機械が現実を切り取った写真一枚の価値以上の何かがそこにあるか?

いいカメラの解像度とそれを秒間何枚も複製出来るコピー機、機械はどんどん解像度も性能も上がっていく。

その複製一枚を手作業の粗い解像度で何万倍もの時間をかけて追うことの果てに一枚の写真以上の価値がいずれ出るだろうか?

もっとハッキリ言うと誰が対価を払って欲しがるか?

スーパーリアリズムの時代はあっという間に滅んだ。

CG、鉛筆、クレヨン何でもいいが道具を変えて写真をそのまま模写することにカメラマンとカメラがコンマ何秒で作った高解像度でドラマチックな写真一枚以上の価値が出るか?

てか、ただ写真模写してもその画の価値は被写体とカメラマンが作った写真のものであってそれを手作業であっても写し取ったのならそれは出来が悪くて性能の低いコピー機と同じであって絵描きであるとか画力だとか意味なくない?

 

スポーツで例えれば本田圭佑と同じサッカーシューズを履いて素人が本田圭佑の真似ごとしても同じ価値あるプレーになるわけではない。

逆に本田圭佑はサッカーのルールがランニングシューズでやることに変わってもバスケットボールやバレーボールでやることに変わってもやはりサッカー選手の中では上手いのではないだろうか?

ちなみにクリエイティブ職業のなかで写真家の社会的立場は大御所以外はかなり低い。

アニメーターは物凄く絵を描く力に長けているのにそれ以上にもう奴隷並みに低い。

 

マンガ·アニメの絵はいかに短時間でストーリーやセリフの展開を含めたアニメ動画や連載漫画などを制作出来るかを目指して簡略化された絵の記号だ。

それを吹き出し、ストーリーや声優さんのセリフ、動きを廃した一枚を描いて秒間60枚の絵を描くアニメスタジオ、ジブリやディズニーや宮崎駿やマンガ家さんよりどれほど価値が出せるだろうか?

それは本当にイラストレーションか?

セリフを失くしただけのカラーマンガやアニメセル画のヒトコマじゃないか?

 

写真やマンガ·アニメの一コマやセル画一枚を切り取って手描きで似せること描き込むことに価値があると目標にしていたら一生やってもその一枚を越えられない。

違う画材や道具で模写して描くことが別の価値を生むはずと盲信するのも根拠がなく、スーパーリアリズムのように最初に少し驚きかあるだけで寿命は短いだろう。

 

一枚の絵を描くならば写真やマンガ·アニメが出来る速さや総合的な内容を越える一枚の絵で描くことの必然性、遥かに凌駕する別の付加価値を模索しなければならない。