もやもやブログ

多摩美術大学グラフィックデザイユーチューブとファッションとお絵描きと時事人をネタにします。

絵を楽しく描いていれば自然と上手くなるのか?ならない3つの理由

 

絵を楽しく描いていれば自然とそのうち上手くなるのか?

 

A.上手くなりません。

 

えっ、継続は力なりで続けていればいずれ上手くなるんじゃないの?

と思った人いるんじゃないですか?

 

もう一度言います、上手くなりません。

 

何故か?

ただ絵を描くのが楽しい状態、あえて極端に言うとこれはつまり現状で満足しているということであってそこからの成長はありません。

口先だけで成長というのは簡単です。

真に現状に不満を持っていない限り、よくて現状維持です。

まあそうは言ってもそんなに悪くないよな、と心のなかでは思ってるひと、終わってます。

寿命が来るまでそのままです。

変わりません。

 

自分の絵を上手くないなあ、下手だなあ、嫌だなあ、恥ずかしいなあと思って描いている状態こそ成長しているという証拠です。

自分の理想とする絵と現実にギャップがあるからこそ苦しく思い、そこで理想を模索するからこそ上手くなっていくのです。

 

一番いい状態はそのギャップを埋めようと足掻いてる状態すらも楽しい、と思っている状態であれば今どんなレベルだろうがそのままの精神状態を長く保てる程、無敵です。

 

逆によくないのはだらだらと長くやっているだけの状態。

なまじそれで長くやっているだけなので継ぎ足し継ぎ足しで古臭いまま根本的な改善をしない癖が付いているし、不満がない状態を長くやっているだけに下手な初心者より直りにくい。

その上、長くやっているだけで役に立たないプライドだけは持っている可能性もかなり高い。

一生懸命続けていれば何とかなる、と盲信に近い状態なだけに人の意見もなかなか素直に聞き入れない。

長くやっているだけの無駄なプライドが改善の邪魔をして新規性のある意見もシャットアウトして視えなくする。

そんな人には意見を求められても正直に言う方が損をする。

当たり障りなく褒めておくしかなくなる。

そうなるとますますその人は改善する余地がなくなる。

墓場に行くまでその状態から大して変わらない。

結果は出てないのに本人のプライドはそこそこ満足した勘違いした状態で最後を迎えるしかありません。

おそらく本人だけはもっと評価されるべきなのに世の中の連中は分かってないなあ、なんて裸の王様状態が年を取るほどにより強固に頑固になりそのまま終わりです。

 

長い時間かけて続けられるかは関係ありません。

 

ゴッホ37年の短い生涯で、画家として活動したのはわずか10年。

夭逝した天才画家と言われる人も結構多いです。

 

まあ、なんせほんの何十年か何百年か前までは平均寿命は今の半分以下です。

逆にネットが発達した現在で得られる情報量は何百倍では済まない位でしょう。

 

かける時間の多さが上達に重要なのであれば何百倍以上にも短縮された情報を

を得るための時間も加味すれば過去の偉大なアーティストを遥かに凌駕する評価も名声も得ている人が一般人レベルで増えていなければおかしい。

 

世に名を残したり評価を得た人生を過ごす人は死ぬまで自分に満足していないです。

もっと向上しようという状態のまま、途中で寿命を迎えて終わります。

向上しようという状態を続けることこそ自分が成長する重要なことと理解している。

それを嫌だと避けることなく立ち向かう状態にもはやある意味"慣れて"いて、その生みの苦しみすら楽しみに変えて続けた人もいることでしょう。

それが上達する人と長くやっていても特段向上しない人との違いだと思います。

 

ただ付け加えるならば、人生の時間も何かを始めることも始める方法も得ることも誰でも容易となった現在では、始めて続けている人を見守ることを楽しみとする、それを応援することを楽しみとする、上達の方法が得やすく応援されるから続けられるという新しい昔よりは緩やかなアーティストとしての生き方の価値も生まれていると言えるでしょう。