もやもやブログ

多摩美術大学グラフィックデザイユーチューブとファッションとお絵描きと時事人をネタにします。

クリエイティブにおいて必要努力量を一生懸命頑張ることだと勘違いしてはいけない

必要努力量を一生懸命頑張ることだと勘違いして混同してる人が古い人には多いんですよ。
一生懸命をわざわざ人にみせるのは保険をかけてる人。それを評価するのは意味ないことに金をかける人。
それぞれ一生懸命やったんだからしょうがないって保険をかけてたセリフを毎回言えるから。
必要努力量を圧倒的に低く測り間違えててつまんないことしかしてないのに一生懸命頑張ってる風なら甘く許されてたり頑張るとは会社にいる時間の長さのことだと勘違いしてたり。
それすらしないただ無能をさらけ出してるのも知らず何やってるのか分からないのもいる。
肩書きに見合う必要努力量を満たしてるのか疑問な人は山ほどいる。それは指名した人間の責任だけど。
そういう作業者も評価者も一生懸命頑張ってる風に見えることを加点対象としてモノ作りは最終クオリティが上がることが最重要なことを忘れて目的がぶれてしまっている。
結果のない一生懸命を評価してしまうのは心情的にただ美しく見えるから、だけ。
一見人間として全うで正しいことのように見えるから、です。
クオリティとは関係がない。
でもどうしても一生懸命頑張ったものでなければよいものであるはずがない、やることはつまらない人だけどすごく一生懸命な風に見えるから応援したい本当は向いてないだけなのにいつかはといつまでも応援しちゃうと言う古い固定観念ごく普通の発想の人が多い。
子供のころから学生時代までクリエイティブな世界で競って学んだ人は最初からそんなに甘くない。
グループで何か作ってたらその人が一生懸命かどうかなんてどうでもよくてその人がクオリティを出せるかどうかだけ。
よく言われることですが作業者が頑張ってるかどうかと作品のクオリティは関係ない、ユーザーに制作者が頑張っているかどうかはそもそも分からないし作品の良し悪しと関係がありません。
頑張っている風に見えるかどうかだけで実際はどうかとは関係ありません。
令和の時代にこの昭和的発想の人は何人も優秀なキャリアの実績の人材を倒れさせて才能を引き出さずに潰して辞められて逃がしてるのにまた倒れさせるというバカなことを繰り返します。
だから行程も無駄があり最終的にも詰めが甘い野暮ったいものをリリースする。で売れない。
一生懸命かどうかはその人個人が勝手に考えてればいいこと。
達成するために必要な努力量を正確に測れる賢い人はむしろ淡々と達成するまでの努力をこなしていたりする。
必要努力量を見誤る人は達成するのに大概全然足りていない、甘い量を毎回見積もる。
そんな人に限って一生懸命必死に頑張ってるんですけどねおかしいなあなんてことを言う。
無駄な時間も所属組織にベッタリ、インプットとのバランスがおかしい、健康的で長くパフォーマンスを発揮出来るような生活リズムになっていない。組織のいいなり生活にアップアップで精神が整ってない、余裕がないから人より感じたりキャッチする力がない、ズレている。
達成出来ない量を見積もって勝手に挫折して人を挫折させて無駄な努力をしてる。
そもそも曖昧な目標だけでどんな計画と策と狙いで何が達成かもはっきりしてなかったりする。
そして時流から遅れることを重ねてるだけ。
そしてその不毛な失敗に毎回他人を巻き込んで優秀な人材もその失敗に毎回巻き込みモチベーションを奪って去られ病気にして倒れるまでやらせる。
元々自分のペースで出来ている人のペースを崩してもっと一生懸命頑張ってペース上げろって古い価値観では一見もっともらしいだけど本当に令和時代にそれ正しいかな?
自分のペースで出来てた人に浅薄で短絡的にもっと一生懸命やれと無理させてその人の生産性が簡単に二倍三倍に上がるかな?
そんなことで無理させてもせいぜい一瞬だけ1.1倍から1.5倍程度になるだけ。
しかも無理させてるから倒れられて休まれるか辞められるか戻っても元のペースにもモチベーションも戻らずかわりに不信感を持たれる非常に短絡的で古い非論理的根性論で高度成長期ではない現在では長期的総合的にみて全くいいことはない。
総合的に全く生産性は上がらない。
苦労して採用したいい大学の人間を片っぱしから潰してるだけ。
毒にも薬にもならないただ感じがよくて扱いやすいだけの作業員の割合が上がり続ける。
一生懸命かどうかは無意味無関係個人の問題、他人に求めればそれは害悪。
個人で勝手に感じていてもいいし感じてなくても別にいいし本当に個人的なこと。
感情的にただ美しく感じてみえるというだけでそれ自体に何の意味もないこと。
一生懸命はそんなに万能なものではない。
必要努力量を正しく測って正確なベクトルでこなしているものに逆転できるほど甘いものではない。
盲目的にモノをたくさん作り作業をたくさんしてればよかった高度成長期とは違う、令和に必要なことではない。
組織が継続して成長出来る時代ではない。
個に組織が支えてもらわなければいけない時代。
いまだに組織優先で時代に合わない現代では意味をなしてない体制に属して服従することを求め個の充実をさせることで個に組織を支えてもらうことを軽んじればこれからもベテラン新人関係なく人材の流出、モチベーション低下は加速し続ける。
とにかく周りの迷惑にならないようにする事が一番、の時代ではない。
自分が幸せになり充実した人生を構築することで高まる個のパフォーマンスを属するなら組織に発揮してあげる時代。

一生懸命頑張りますと言う人とそれを評価する人ほぼそれを言うしか特徴がない凡庸と評価基準の短絡さの証左。

一生懸命さじゃない。
必要努力量を正確に測ればその量は半端じゃない。
世界一の人より努力してたけど芽は全く出なくて途中で諦めましたなんて人がいたら嘘つきで絶対やってない、やってたら何かしら名前が知られる位にはなってる。
99%以上が必要努力量に達する前に挫折する、諦める、方向を間違えてても自分で直せないで終わってるだけ。
一生懸命頑張るかどうかは関係ない、始めてすぐ諦めたくなるほど半端ない必要努力量を正しいベクトルでただこなせるかどうかだけなんだ。
それくらい楽しいと思えるか、好きかどうか愛があるか試される。
つまり好きだ好きだと言ってるが本当に愛があるのか常に試されてるということ。
途中でやめたのにいつまでも未練たらたらに話してるやつは全員本当の愛じゃなかったということ。
諦めなければいけなかった理由なんてなんぼでもつけられる、やり遂げられないのが当たり前だから。
一生懸命はむしろ挫折して立ち直れない諦めましたとかいう必要な努力量もこなせない事を
途中でやめる言い訳でしかない、ださい。
まず測ってこなせる量か続けられることかの判断が重要。
こなせないと思うなら向いてない。
一生懸命さで努力をこなせるスピードが二倍三倍には到底なり得ないのでコツコツやって続けて積み上げられるかどうかしかない。
世界一になった人もそうやってコツコツやっただけなのに距離がありすぎて才能ある人は一段飛び出来るかのように錯覚して言い訳にするけど皆一段ずつしか上がれない。
それを出来ない自分と周りへのださい言い訳だ。